老後とは、それをエンジョイできる余裕がある人には「第二の人生」でも、「破産」状態に陥った人にとっては、悪夢でしかないだろう。天地真理も、柳沢きみおも味わう「老後破産」の恐怖。人生の終章で辛酸をなめる人には、どうやら共通項があるようだ。
日本文化史を研究するイタリア人、パオロ・マッツァリーノ氏は、著書『「昔はよかった」病』(新潮新書)の中で、「昔はよかったね」と言って今を嘆き、過去を懐かしんでばかりいるのが日本の年長者の特徴だ、と看破する。しかし、「老後破産」に追い込まれてしまった人が生きている「今」は、誰がどう見ても、「昔はよかった」と言うほかないものである。
そして今、「昔」の「よかった」生活から「破産」に近い状態にまで転落する人が激増している。『老後破産 長寿という悪夢』(新潮社刊)がベストセラーになり、「老後破産」の実例を報告した本誌(「週刊新潮」)34号の特集記事が話題を呼んだのも、誰もが「悪夢」にうなされかねない現実があるからだろう。
事実、「昔」のほうが、老後をすごしやすい環境が整っていたようだ。貧困者の生活相談に乗り、アパートの連帯保証人を引き受けるNPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」のO連理事長が言う。
「私たちが収入を得る要素は、労働、資産、家族の援助、社会保障の4つ。そして国民年金は、社会保障以外の3つの要素がある前提で成り立っている制度なんです。成人するまでは親に扶養され、学校を出たら働いて貯金する。結婚して子供が生まれたら、家族を養いながらマイホームを買い、資産を作る。そして定年退職を迎えたら、貯蓄と退職金、子供たちの援助に支えられて生活する――。実際、昭和にはそうした社会モデルが一般的で、現在の社会保障制度は、こうしたモデルを前提に設計されている。国民年金も、それ1本で生活を成り立たせるための制度ではないのです」
ところが、そんな社会モデルが大きく崩れているという。O氏が続ける。
「高度成長期には正社員が当然で、終身雇用が前提で企業福祉も充実し、妻が専業主婦でも家族を養う余裕があった。しかし、現在は非正規雇用者が労働者全体の37%を占め、彼らは給料が低いので資産を形成できず、そんな状態では結婚して家族を養うこともできない。要するに、収入の4要素のうち3つがない人が増え、昭和モデルが通用しなくなっているのです」
「預金が尽きる前に、死んでしまいたい」「食費は1日100円…。」ごく普通の人生を送り、ある程度の預貯金もある。それでも、病気や怪我などの些細なきっかけで、老後の生活は崩壊してしまう。急増する「老後破産」の過酷な現実を、克明に描いた衝撃のノンフィクション。
それでもまだ、自分は正社員だから、あるいは正社員だったからと、対岸の火事の見物を決め込んでいる人が多いのではあるまいか。だが、O氏は、
「老後破産に陥る人は、一般企業の正社員だった人も多い。それなりに恵まれた家庭環境で育ち、大学も出た人が少なくないのです」
と指摘するのだ。心身の病気、リストラ、親の介護のいずれかの理由で仕事をやめたケースが多く、リストラを機に離婚を切り出される例もあるという。彼らが追い込まれる理由を、O氏はこう解き明かす。
「そういう人は、自分がリストラされたり、熟年離婚せざるをえなくなったりしたとき、“恥”だと感じて周囲や友人に言い出せません。20代、30代ならともかく、40代や50代で今までの不自由のない生活からグレードを下げなくてはならなくなっても、周囲に同じような境遇の人はおらず、話しづらい。それを引け目に感じ、友達づきあいも減ってしまうのです。いざ転職先を見つけても、20代や30代の若者が上司ということが多く、孤立を深め、精神的に病んでしまったり、相談できないまま、間違った選択肢を選んでしまったりするのです」
そうしたケースをつぶさに検証する前に、少々特殊な環境における事例を、2つばかり紹介したい。「特殊」とは言ったものの、実は、老後破産に陥る典型的なパターンを、いくつも含んでいるからである。
浪費癖があるから
「私、20代、30代の一番仕事が忙しいころは、今みたいな状態になるなんて、思ってもみませんでした」
こう語るのは、1970年代前半に「ひとりじゃないの」などの曲を次々とヒットさせ、スーパーアイドルとして一世を風靡した天地真理(63)。現在、川崎市の高齢者向け住宅に暮らしている。ちなみにこの住宅は、3人の入居者が次々と転落死していたことがわかった有料老人ホームと、運営会社が同じだが、それはともかく、今の彼女の暮らしぶりはこうだ。
「月に家賃が14万円、食費が4万円ほどかかりますが、ファンクラブの方が出してくれていて、感謝の言葉しかありません。65歳からは年金が月15万円ほどもらえるはずですが、今、蓄えはないです。渡辺音楽出版との契約で、私が死ぬまで3カ月に1回、5万円が振り込まれることになっていますが、全額娘に渡していて、普段の生活に使うお金は、娘が週に3回、2000円ずつ振り込んでくれて、それでなんとかやりくりしています」
かつての大スターが、週に6000円でやりくりしているとは驚きだが、
「それは私に浪費癖があるからです。20代のころから良い思いをたくさんしてきて、今でもそのときの感覚が忘れられなくて、お金があると使っちゃうんです」
そして、デビューから今日に至るまでの経緯を、このように語った。
「19歳でデビューするとすぐブレークして、月給300万円もらっていたんです。渋谷区の松濤に5LDKのマンションを6000万円で買って、ひとりで住むのが寂しくて、数年後に売っちゃいましたけど。お金は母に渡していましたが、頼めば高いお洋服も買ってくれるし、外食にもよく連れていってもらっていました。それにデビュー時のマネージャーさんが“自分への投資に衣装をいっぱい買え”と言っていたので、値段を気にする習慣もなかったんですね」
だが、そんな日々は長くは続かなかった。
「25歳のとき、甲状腺機能障害ということで入院して、2年間、芸能活動を休止しました。本当は人気がなくなってきて、寂しくなって、鬱病になっていたんです。1カ月入院したんですが、その間に、渡辺プロと病院の先生が話し合って、“嘘の病名を作ろう”ということにしたのが真相なんです。復帰してからは、また月300万円もらいましたが、仕事が増えず、他の事務所へと転々とするようになってからは、月に50万円くらいのお給料でした。でも、浪費癖は治らず、お金に困るようになりました。86年にはロマンポルノに出演しましたが、あれはすべてお金のため。でも、ギャラの200万円は毛皮のコートを買って、使い果たしてしまいました」
そのころ、喫茶店のマスターと結婚した。が、
「彼が住んでいた麹町のマンションで暮らし、娘も生まれましたが、元亭主は仕事を全然しなくて、私には暴力をふるうし娘にもつらく当たって、離婚のときに慰謝料ももらえませんでした。離婚を機に横浜市に移って、娘が専門学校に入るまで学費などで困りはしませんでしたが、浪費癖は止まらなくて、30万円するサンローランの服を買ったり。お金を貯めなくちゃ、という思いはあっても、通帳にお金が残っていると使っちゃうんです。そんなだから娘ともいつも喧嘩になって、ひとり暮らしすることにしたんです」
怖いのは病気になること
天地のケースには病気や離婚、人気低下による事実上のリストラなど、さまざまな要因が詰まっているが、こうなった最大の理由は、
「ダウンサイジングすることの難しさ」
だとO氏は指摘する。実際、ダウンサイジングは老後破産を避けるための必須事項といわれる。
「仕事のストレスを解消するために、高価な買い物に走ってしまう。それに月に300万円ももらった経験があると、浪費に歯止めがきかなくなりがちだし、周囲にも良い暮らしをしている人が多かったでしょうから、それを意識して、なかなか生活レベルを落とせなかったはずです」(同)
一方、動かした金額はケタ違いだが、今もなお「老後破産」の瀬戸際にいるのが、漫画家の柳沢きみお氏(66)である。
「二十数年前、バブル真っ盛りで私の年収も最高で1億8000万円ほどあった。フランスの芸術家エミール・ガレにハマって、彼の骨董品を買い漁り、クラシックカーを何台も買い換えていたある日、新聞の折り込みで、千葉県の山中に敷地3000坪のログハウスを見て、そこなら車を何台も置けると思い、買ってしまったんです。値段は4億円。当時、2億4000万円で買った原宿のマンションに住み、月に80万円を返していましたが、新たなローンを加えて月額350万円の返済になった。でも、払えなくなれば、高騰していた原宿のマンションを売ればいいと思っていました」
ところが、である。
「それが大欠陥住宅で、水道がなく、井戸を掘ったら濁り水で粘土の臭いがする。また、家の裏が山で陽が全然当たらず、梅雨時は湿度が90%近くになる。そこに2本の週刊漫画誌の連載が終了して、ローンが支払えなくなり、原宿のマンションもクラシックカーも、全部売ることになったのですが、バブルのころは10億円と言われたマンションは、1億4000万円にしかならず、4億円のログハウスは競売にかけられ、3000万円で売ることに。借金の残金1億8000万円は利息なしで8年で返すことに落ち着きました」
幸いにも、『特命係長 只野仁』がテレビドラマ化されて大ヒットし、予定より1年早く完済したというが、それでも、生活は危ういままだという。
「こんな経験をしただけに、“貯金をしなきゃ”と思うのですが、できていません。お金が貯まると、ガレの骨董品やクラシックギターを買ってしまう。自宅は家賃30万、事務所は20万円の賃貸マンションで、不動産も持っていません。アシスタント3人に給料を払い、食費、光熱費など諸々の出費を合わせると、今の収入と支出って、ちょうどトントンくらいなんです」
羨むべき生活水準に見えて、その実、非常にもろい状態にあるというのだ。
「今、日刊ゲンダイでやっている『特命係長 只野仁ファイナル』の連載も、いつか必ず終わります。今のところ、新作の依頼も一切ないし、今後は仕事が先細りする一方だと思うんです。今、一番怖いのは、僕も含めて家族が病気になること。そうなったら漫画も描けなくなってしまうから、本当に怖いですよ」
柳沢氏からは、やりくりがなんとも不器用な印象を受けるが、先のO氏は、
「個々の性格として不器用な人、要領の悪い人、昔からの習慣や美徳に縛られている人ほど、自らの首を絞めてしまっている」
と指摘。過去の習慣から抜けられない点は、天地真理にも共通している。
日本独特の価値観に縛られ
ともあれ、O氏はこんな例を挙げる。
「うちに相談にきた60代の男性は、元々は一般企業に勤め、年収500万円ほどでしたが、50歳のころに母親が認知症を患い、介護に専念するために退職。しかし再就職しようにも、50代では条件に見合う仕事は見つからず、介護のストレスも溜まって鬱病になり、生活保護を受けています。介護つきマンションや老人ホームを探せば、仕事を辞めずに済んだはずですが、それでも自宅介護を選んだのは、“親の面倒は子が看る”という、日本独特の価値観があったからです」
似ているのが、離婚をきっかけに身を落とすケースだという。
「ある50代の男性は、40代でリストラに遭って離婚を切り出され、持ち家と子供は妻に渡し、自分は賃貸アパートに一人暮らし。そのうえ養育費を月々支払い、新しい仕事は見つからない。リストラされたのなら、財産は半々にするなど、もう少し自分の人生設計を考えるべきでした。離婚後に苦しむケースは、男性が財産分与の際に見栄を張り、ほとんどを妻子に渡してしまう場合もあるんです」(同)
全日本年金者組合東京都本部の年金アドバイザー、芝宮忠美氏(73)も、介護が足枷になる例を挙げる。
「最近、相談に来られた女性は、40代のころ母親の介護のために仕事を辞め、母親が亡くなったときには自分が50歳を超えていて、再就職もままならなかった。それでも、老人ホームに入れることだけは“絶対に嫌だった”と言うんです。結局、母親が亡くなると都営住宅から強制退去させられてしまい、私と相談した結果、生活保護を申請することになりました」
やはり“美徳”を優先して、自らの首を絞めてしまったのだ。ところで、芝宮氏自身も「老後破産」に近い状態にあるという。
「私は同志社大学を卒業後、外資系のヒルトンホテルに就職して、最初の赴任地がアラブ首長国連邦の首都アブダビ。その後はクウェートやイギリスなどを転々とし、52歳からはスウェーデンで、定年退職後、帰国しました。当時の年収は700万円ほどで、妻と2人で普通の老後が送れると思っていましたが、海外勤務が長く、厚生年金に未加入の期間があって、年金受給額は月7万円弱。病気の妻の障害年金が約10万円ありますが、妻は人工透析を受けに週に3回病院に行くので交通費がかかり、週2日のデイケアの費用も3万円ほどかかる。そのほかの出費も積み重ねると、家賃4000円の都営住宅に住んでいても、毎月、収支はギリギリなんです」
だが、必死に介護したくなる家族がいる人は、まだ幸いなのかもしれない。シニアの生活相談を行っている全国SLA協会事務局長の石寺弘子さんは、
「家族とのコミュニケーションが上手くとれているかどうかも、老後破産を防ぐうえで大事な要素」
と言って、実例を示す。
「全財産をはたいて二世帯住宅を建て、息子夫婦と同居を始めたものの、何かにつけ嫁と揉めて嫌気がさし、家を出てアパートを借りた方がいます。年金だけではやっていけませんが、財産はもうなく、息子夫婦に家賃の支払いを求めたところが、取りあってもらえず困っている、という相談でした。また、家族の問題で最近増えてきたのは、自立しない子供を抱えた親からの相談ですね。働かない息子を抱え、生活の面倒は見てあげたいが、自分が病気をして入院中に預金を下ろされ使われてしまい、退院したら生活費にも困る状態になっていた、という相談もありました」
100円のお惣菜を半額で
さて、話を原点に戻すと、老後破産の“王道”は、なんらかの理由で仕事を追われたケースである。それは予期できないという点で、誰にも他人事ではない。
大阪で日雇い労働者やホームレスの生活支援に取り組む野宿者ネットワークの生田武志代表は、
「40代、50代のときに仕事を失い、再浮上できないまま破産状態に追い込まれる人もいます」
と言って、続ける。
「府内に住む60代の男性は、調理師として働き、30代のころは月に30万~40万円稼いでいたそうですが、バブル崩壊の煽りで店が倒産。40代から土木作業に転じますがケガが多く、50歳を前に解雇。その後は転職もできず貯金も尽き、生活保護を受給しています。やはり生活保護を受けている60代の男性は、大阪市内で複数のスナックを営んでいましたが、倒産して借金を抱え、10年前に離婚。住まいが奥さんの実家だったために住居も失い、自己破産してしまいました」
また、最近は若くして破産状態に追い込まれる人も多いと、こう続ける。
「ある20代の女性は、理系の大学院を卒業後、企業の研究機関に勤めていましたが、企業がその事業から撤退して研究機関が廃止されてしまった。レジ打ちなどのアルバイトをして過ごすものの、腰を悪くしたりして長く続かず、転職活動もままならないうちに精神的にも病んでしまった」
若者がこうなら、高齢者にはなおさら厳しいのは当然である。都営住宅に住む66歳の男性が語る。
「鹿児島から上京して獨協大学に入学し、卒業後は浅草有線放送などで正社員として働きましたが、競馬にはまったりして退職。新聞の勧誘や清掃などをして過ごしました。収入は月13万~14万円程度で、家賃は6万円。独身だし身体は丈夫なので生活できました。ところが5年前、鷺宮のホテルの清掃の帰りに、新宿駅で腹痛に襲われて意識を失った。急性腹膜炎で危険な状態だったらしくて、意識がないうちに手術され、3週間入院して50万円の医療費がかかった。それは月賦で払うことにしたけど、もう体力がなくなって働けない。生活保護を受けていますが、それが恥ずかしくて……。食事は100円のお惣菜が夜は半額になるのを狙って食べています」
続いて、やはり都内に住む69歳の男性の話である。
「18歳から自動車の組み立て工場で働き、20歳でやめて夜間学校に4年間通い、証券会社に正社員として入社しました。給料もよかったのですが、職場にパソコンが入ってきて、それを使えずにクビになってしまった。その後は警備員をしたり、飲食店で働いたりしましたが、月収15万円ほどで生活はぎりぎり。独身で傾きかけた両親の持ち家があるから、なんとかなりました。今は2カ月で16万円の年金だけで暮らしていますが、貯金はゼロで、食事は納豆と豆腐ばかりです」
前出の石寺さんは、
「今は医療の進歩もあって、高齢者の方も元気。退職後を第二の人生ととらえ、アクティブに行動する人が増えましたが、その分、交際費もかかり、生活を圧迫している場合もあります」
と言う。たしかに、長生きのためには「アクティブであれ」と説かれるが、アクティブに行動する余裕がある高齢者がどれだけいるのか。また、アクティブな行動によって得られた長寿が、老後破産という悪夢と直結するなら、これほど皮肉な話はない。
週刊新潮 2015年10月1日号掲載