六本木 金魚 営業終了

鴻上尚史氏のXより。もったいないことだ。

六本木金魚という奇跡(一部誤字訂正)

六本木にあった「日本一派手なショウパブ」が30年を経て、2024年4月30日に営業を終えました。
僕が初めて観たのは、1998年、今から26年前のことです。ショウの間の一時間、あまりのすごさに僕はまったく動けませんでした。
何もないステージが突然、三分割されて、それぞれのパートが階段になり(!)、むくむくと立ち上がり、なおかつ、ステージ奥にある二階部分からも階段が突如出現し(!)、ステージ下から現れた階段と二階の階段が合体し(!)、ステージ全体を覆う「大階段」が出現するという舞台機構でした。これで驚いていたら、また階段は引っ込み、ステージ全体はフラットに戻り、けれど、三分割したステージは、それぞれが上がったり下がったりしました。
これで驚いていたら、ステージ全体がゆっくりと沈み始めました。そして、天井から、別のステージがゆっくりと下りてきたのです!そのステージの上には、ダンサーさんが乗って、踊っていました!
文章だけだと、「お前は何を書いているのか」と突っ込む人もいると思います。もう、見なければ分からないのです。
なおかつ、ショウの最中、本物の雨が降りました。水ですね。
なおかつ、ショウの最中、雪が降りました。その当時、僕は自分が作・演出をつとめる劇団「第三舞台」で使っていた、「雪のようにふわふわと舞い、役者や舞台の床に着くと、溶けてなくなる」最新式の「科学的な雪」でした。それを、当然のように金魚では使っていました。
それが、1ドリンクと1フードのオーダーをふくめて、7~8000円で見られたと思います。(席料だけだと4500円ぐらいだったはずです)ダンサーさん達も素敵でした。僕は何人ものトランスジェンダー(MTF)の人と知り合いました。(その当時は、ニューハーフと呼ばれていました)その結果、「ベター・ハーフ」という作品を書きました。

僕は正直、「まいった!」と思いました。こんなレベルのショウを、客席数はおそらく150席前後だと思います、圧倒的に近い距離で見せられるショウに打ちのめされたのです。

それ以降、僕は現在まで、ことあるごとに通いました。知り合いを誘い、劇団スタッフや俳優を誘いました。全員が、口をあんぐりしてショウを見る姿に興奮しました。料理は注文しましたが、誰も食べる手は動きませんでした。ただ、ショウを見続けました。

もうひとつ、僕が金魚のショウに引かれたのは「花」という演目の存在でした。
沖縄出身の喜納庄吉さんが歌う「花」がフルボリュームでかかり、沖縄の衣装を着た人達が踊る中、少年と少女が登場します。二人は幸福に野原に蝶を追いますが、戦争が始まります。飛行服の兵士が登場し、それを見送る日本の母が登場します。モンペ姿の日本人が逃げまどい、追い詰められて自害します。すべて、曲に合わせてダンスとして表現されます。
やがて、戦争に負けます。すると、天井の上からステージが下りてきます。そのステージの上には米兵が立っています。
米兵は、少女を天井から降りてきたステージに引き上げ、乱暴して、笑いながら去ります。その瞬間、少し浮いたステージの前面がパカッと開いて、あきらかに娼婦と思える(当時の言葉でパンパンですね)女性が登場します。乱暴された少女は、ステージの上から、すっとその娼婦の中に下りて入ります。天井のステージから、通常のステーに下りるのです。少女の変化を一瞬で表現した見事な演出です。時間の凝縮を可視化したのです。僕はその表現に唸りました。
演目としては、最後、少年と少女が、もう一度、昔に戻り、花を持ってフライング(!)して、天国へと旅立つというストーリーです。(二人はワイヤーでつり上げられて、客席の天井へと去るのです)

その最後に、なんと「日本国憲法第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」というナレーショが入るのです。
僕はぶっ飛びました。楽しい気分で六本木のショウパブに来た人に、1時間のショウの中の4分間ぐらいの1演目とはいえ、こんなすごいものを見せるのかと震えました。

その後、何年かして、突然、9条のナレーションがなくなりました。僕は、残念だなと思っていました。

しばらくして、また金魚に行って,開演まで待っていると、隣で元気に話す初老に見える男性がいました。聞こえてくる話だとその人がオーナーのようでした。
どうして僕と話し始めたのか、今となっては記憶がないのですが、とにかく、僕が「このショウはすごい」「感動しました」という話をすると「演出も曲の選択もわしがやってる」とその男性はいいました。それが、オーナー兼演出家の谷本捷三氏でした。
僕は「でも、9条のナレーションがなくなったのは、なんとしても惜しいです」といいました。谷本さんは、「お客さんで、怒った人がいてなあ。やめたんだよ」と仰いました。「でも、あれがすごいのに」と僕は返しました。

しばらくして、ショウが始まりました。「花」が始まり、見ていたら、沖縄の女性達が自害するシーンで、突然、9条のナレーションが流れました。僕は驚きました。ダンスの中に入るからこそ、最後の流す時のメッセージ臭さではなく、痛切な響きを感じました。

ショウが終わって、谷本さんが、ニヤニヤしながらやってきました。「とうだ?」谷本さんは言いました。
「すごいです。流す場所も、こっちの方がいいと思いました」と僕は答えました。谷本さんは満足そうにうなづき、「ところで、あんたは何をしてるんだ?」と聞きました。「僕も一応、演出家なんです」と答えました。「そうか」谷本さんはそう言って去っていきました。
開始までのわずかな時間に考え、変更を指示するすごさに僕は打たれました。

谷本さんは13年前に亡くなりました。金魚はいろんなことが時と共に変わりました。法律の命令で、天井のステージは、安全柵か命綱がないとダンサーは上に立てなくなりました。
米兵が少女を乱暴するシーンは(ダンス的に表現されていましたが)お客さんの抗議で数年前からやめています。でも、このシーンがないと、どうして少女が娼婦になったのか、沖縄の歴史の中で何があったのか全く分からないと思います。

そして、金魚はクローズしました。舞台機構は、30年たってもまだまだ最先端だと思います。
新たな形で「金魚」が「花」が生まれることを僕は願ってやまないのです。
ともあれ、この世界に「金魚」があったことを深く深く感謝します。

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