モンゴル帝国と元の違い

モンゴル帝国というのは、モンゴル族のテムジン(チンギスカン)が多種の民族をまとめて広大な領域を支配した勢力を言います。
テムジン自身は王と訳される「カン」を名乗っていたようなので、王国と訳すのが正確かもしれませんが、複数民族を支配する国のことを「帝国」と呼ぶこともあるので、テムジンの時代から「モンゴル帝国」と呼ばれています。
彼の子孫が皇帝にあたる「カアン」を名乗ったので、名目上も帝国になりました。

一方、「元」もテムジンの孫フビライがカアンとなって作ったものなのですが、中華文明の範囲に首都(大都)を置き、「大元」と中華文明風の国号を名乗りました。


このとき、テムジンの子孫たちは西方の各地で「カン」として王国を作っていて、フビライは名目的に本家のようなものでしたが、実際はほとんど支配力はありませんでした。
つまり、モンゴル族を中心にいろいろな民族や広大な地域を支配した勢力がモンゴル帝国、 時代が下って広大な範囲をまとめる結びつきが弱まって、モンゴル帝国の皇帝が東側だけを中華文明地域を中核に支配したのが元です。
テムジンを中心に子が各地を支配していたころは協力に結びついていたのですが、兄が皇帝で弟たちが王を名乗るようになると関係が弱まり、フビライのころには各地の王は従兄弟やそれ以上遠い親戚で、親しみが持てないから完全にバラバラになりました。
その結果、各地がその土地にあわせて変化し(西側の王国がイスラム教国になるなど)東側では中華文明を取り入れたのです。

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