【備忘】「カラマーゾフの兄弟」まとめ

【結論】自分に合うた版(ってどれや?という話だが)を選んで、ドストエフスキーの世界を存分に楽しむべきや。

1.江川卓(本名 馬場宏)訳 新潮文庫版・亀山郁夫氏訳 光文社古典新訳版の違い

「カラマーゾフの兄弟」手に取るとき、どの翻訳版が読みやすいかという点は重要なポイントや。それぞれ異なる魅力があるんじゃ。
自分に合うた翻訳版選ぶには、いくつかの冒頭部分比較し、自分のペースで読みやすいと感じたもの選ぶのが一番や。

「カラマーゾフの兄弟」の翻訳版の中でも、江川卓氏と亀山郁夫氏の翻訳は多うの読者に愛されとるが、どちらが「名訳」かについては意見が分かれる。

両者比較すると、深い理解求める読者には江川卓氏の訳が魅力的に映るじゃろうし、物語楽しみもって読めるもの探しよる場合は亀山郁夫氏の訳が適しとる言える。

どちらが「名訳」かは、読者自身が求める読み方によって決まる部分が大きいんや。

(1)江川卓(本名 馬場宏)訳 新潮文庫版

文体が古風でありもっても、忠実に原文の重厚さ伝えとる。このため、古典の文学的重み感じもって読める反面、少し難解だと感じる読者も多いようや。読みごたえのある文体好む方には、この版が最適かもしれん。
江川卓氏の訳は、原文に忠実でありもっても、独特の古典的な言い回し用いとり、ドストエフスキーの世界観丁寧に表現しとる点で評価されとる。特に、彼の訳は文体が重厚で、作品の哲学的な深み味わいたい読者に向いとる。

(2)亀山郁夫氏訳 光文社古典新訳版

光文社古典新訳版は、現代の感覚に近い言葉遣い採用しとり、比較的読みやすいという特徴があるんじゃ。

特に初めて「カラマーゾフの兄弟」に触れる方や、難解な言い回しに抵抗がある読者にとっては、この版が親しみやすいじゃろう。亀山郁夫氏の翻訳は、原作の持つ哲学的な深みと、日本語としての読みやすさ兼ね備えとる。

やけど、この版には誤訳があると指摘される部分もあり、慎重に読む必要があるかもしれん。ほんでも、多うの読者からは「全体的にバランスが取れとる」として支持されとる。

亀山氏は、読者にとって理解しやすい言葉、現代的で親しみやすい表現を選んでおり、「カラマーゾフの兄弟」に初めて触れる読者に対して読みやすさ提供しとる。そのため、初心者にとっては亀山訳が最適な選択かもしれん。

「誤訳」についても特に指摘されたんは、宗教的なニュアンスや哲学的な概念に関する訳の部分で、原文のニュアンスが十分に伝わっとらな感じた読者が疑問投げよることが発端や。この誤訳騒動は、ドストエフスキーの持つ深遠な思想や複雑なテーマどう解釈するかという、翻訳者の解釈に依存する部分も大きいため、完全に誤りとは言い切れん部分もあるんじゃ。

具体的な例としちゃ、アリョーシャがゾシマ長老の言葉解釈する場面で、原文では深い宗教的意味が込められとるにもかかわらず、亀山訳ではそれがやや軽う伝わってしもうたと指摘された。

こなん部分での違いが「誤訳」として扱われることがあるけど、翻訳者の解釈によっては異なる視点が浮かび上がることも理解しとく必要があるんじゃ。とはいえ、亀山氏の訳が読みやすう、多うの読者に受け入れられとるのも事実や。

誤訳問題に対して過剰に反応するよりも、自分自身が感じる読みやすさや作品の理解重視するのがええかもしれん。

2.「罪と罰」との比較や最高傑作説

ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」と「罪と罰」は、どちらも彼の代表作として高い評価受けとるが、「どちらが最高傑作か?」という問いには明確な答えがないのが実情や。

作品のテーマやキャラクターの構成が異なるため、それぞれに異なる魅力があるけんや。

「罪と罰」は、主人公ラスコーリニコフの内的葛藤中心に物語が進む一方で、「カラマーゾフの兄弟」は、兄弟それぞれの人生観や宗教観がテーマとなっとり、より複雑な物語構造持っとる。

ドストエフスキー自身が「カラマーゾフの兄弟」最高傑作として考えとったこともあり、多うの読者はこの作品に特別な価値見出しとる。

特に宗教的・哲学的なテーマに興味がある方には、「カラマーゾフの兄弟」がより深い体験提供してくれるじゃろう。

一方で、犯罪や罪の意識、罰というテーマに興味がある場合は「罪と罰」がぴったりや。

どちらが自分に合うとるか考えもって、両方の作品に挑戦してみるのもええかもしれん。

どちらもドストエフスキーの代表作けど、物理的な長さにも違いがあるんじゃ。

結論から言うと、「カラマーゾフの兄弟」の方が長い作品や。具体的に比較すると、「罪と罰」は約70万字程度、一方「カラマーゾフの兄弟」は約100万字にも達す。

このため、読むのにかかる時間も「カラマーゾフの兄弟」の方が長うなりがちや。

「罪と罰」は、ラスコーリニコフという一人の青年が犯した罪と、それに対する内面的な葛藤が主なテーマとなっとり、物語の進行が比較的コンパクトで緊迫感が強い。

一方で、「カラマーゾフの兄弟」は、カラマーゾフ家の3兄弟中心に、哲学的・宗教的なテーマが複雑に絡み合う壮大な物語であり、登場人物も多う、構成がさらに緻密や。

長さだけでのう、内容の深さやテーマの広がりからも、「カラマーゾフの兄弟」は時間かけてじっくりと読み進めることが求められる作品や。初めてドストエフスキーに挑戦する場合は、「罪と罰」から読み始めるのも一つの方法けど、より深う彼の世界観味わいたい場合は、「カラマーゾフの兄弟」に挑戦する価値があるんじゃ。

3.舞台化

舞台化された「カラマーゾフの兄弟」は、原作がドストエフスキーの手によるもので、彼の最後の大作や。

彼が執筆したこの作品は、宗教的、哲学的なテーマ含み、登場人物たちの葛藤や思想のぶつかり合い描いとり、舞台作品としてもがいに人気があるんじゃ。

原作自体が持つ劇的な要素や、人間の内面深う掘り下げた描写が、舞台での表現に適しとるけん、多うの演出家や劇団がこの作品に挑戦しとる。

舞台版では、特に兄弟たちの対立や、父親フョードル・カラマーゾフの殺害めぐる事件が強調されることが多う、劇的な緊張感が観客引きつける。

日本でも度々舞台化されとり、有名な劇団や俳優たちがこの壮大な作品に挑んできた。

たとえば、舞台版ではイワンやドミートリイの心理的葛藤鮮烈に描くシーンが多う、観客に強い印象残す。

ドストエフスキー自身が、この作品に込めた思想や人間性に対する問いかけは、現代でもなお多うの観客魅了し続けとる。

舞台化によって、文学作品としての「カラマーゾフの兄弟」が視覚的にも体験できるため、原作ファンにとっても、新たな視点で物語楽しむ機会提供しとる。

4.村上春樹氏推奨の読み方

キャラクターの内面に注目しもって、時間かけて味わうことが大切やっちゅうこと。
読みやすさ重視するなら、新潮文庫の江川卓訳は重厚でクラシックな文体、光文社の翻訳は現代的で親しみやすい。亀山郁夫訳はその中間けど、一部誤訳が指摘されとる。
「罪と罰」との比較では、「カラマーゾフの兄弟」の方が長う、テーマも複雑や。

村上春樹氏は、「カラマーゾフの兄弟」自身の作品に影響与えた重要な一冊として挙げとる。彼が特に評価しとるんは、ドストエフスキーの描く人間の内面と、その深い心理描写や。

村上氏が推奨する読み方は、登場人物の感情に寄り添いもって、彼らの葛藤や矛盾味わうこと。

複雑な構造持つこの作品は、単なるストーリー展開じゃのうて、キャラクター同士の対話や思想のぶつかり合いじっくりと楽しむことが肝心だと語っとる。

特に「ゾシマ長老」の登場する場面は、村上氏が印象深う挙げるシーンの一つや。ゾシマの教えや影響受けるアリョーシャの成長通して、作品全体が持つ宗教的な側面感じ取りもって読むことが大切だとしとる。

また、読書ペース急ぐ必要はのう、じっくりと時間かけて味わうことが推奨されとる。

こうした村上春樹氏の視点参考にしたら、より深う「カラマーゾフの兄弟」理解し、作品の真髄に迫ることができるじゃろう。

佐藤優「カラマーゾフで読み解くロシアの論理」
2021年はドストエフスキーの生誕200年。翌年2月24日にはウクライナ戦争が始まったこともあり、ロシア文学への関心が高まってきているように感じます。ドストエフスキー作品には現代を生きるうえでのヒントが凝縮さ…

【付録】佐藤優「カラマーゾフで読み解くロシアの論理」「人間から自由を取り上げなければならない」

「閉ざされた世界」に戻ってしまったロシア人の価値観や心情を知るには、ドストエフスキーの小説に新たな光を当てる必要がある

2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻は世界を大きく揺るがし、今なお戦闘が終わる気配はありません。日本を含む西側諸国はロシアの蛮行を非難し続けていますが、それだけで停戦は実現できるのでしょうか。
作家で元外交官主任分析官の佐藤優氏は、戦争を止めるにはロシア人の内在論理を知ることが重要であり、それにはドストエフスキーの世界的名著である『カラマーゾフの兄弟』を読むことが最適だと主張します。そこではいったい何が描かれ、何が語られているのでしょうか。『これならわかる「カラマーゾフの兄弟」』から抜粋してお伝えします。

◆ロシアはもともと「閉ざされた国」だった

2021年はドストエフスキーの生誕200年。翌年2月24日にはウクライナ戦争が始まったこともあり、ロシア文学への関心が高まってきているように感じます。ドストエフスキー作品には現代を生きるうえでのヒントが凝縮されており、不安定な時代にこそ注目を浴びます。

それに加えて、いまドストエフスキーの長編小説『カラマーゾフの兄弟』を読むべき理由があります。ロシアとロシア人の内在的論理を知るためです。2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻は、歴史の転換点となる大事件だと言えます。

ロシアはこれをウクライナに住むロシア系住民をネオナチ政権(ゼレンスキー政権のこと)から保護するための「特別軍事作戦」だと主張していますが、客観的に見て戦争です。ロシアの行為は、ウクライナの主権と領土の一体性を毀損する国際法に違反する行為だと言えるでしょう。

しかし、プーチン大統領らロシア指導部だけでなく、大多数のロシア人もこの戦争はアメリカなど西側連合によるロシア国家解体の陰謀を阻止するために必要だと考えています。このロシア人特有の奇妙な論理を理解するには、『カラマーゾフの兄弟』の登場人物の心情を追体験することが効果的です。

ロシアの特徴は、政治的、文化的、宗教的に完結した空間を形成しているところにあります。言い換えるなら、ロシアは「閉ざされた世界」なのです。

帝政時代、ソ連時代を含めて閉ざされているのが常態だったこの帝国を変化させたのが、1985年にソ連共産党書記長に就いたゴルバチョフ。ゴルバチョフはペレストロイカ(立て直し)政策を進め、外部世界への扉を少しずつ開き始めたのです。

ところが、「開かれた世界」と相性のよくないソ連は、1991年12月に崩壊(実態は自壊)しました。旧ソ連は15の主権国家に分裂し、ロシアはエリツィン大統領の指導下で外部世界への扉を全開にしたのです。

その結果、政治、経済、社会のすべてに大混乱が生じました。現在のロシア人は、ソ連時代末期とエリツィン時代を「混乱の90年代」と否定的に評価しています。エリツィンの後継者として2000年に大統領に就任したプーチンは、扉を徐々に閉じ始めました。

そして2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻で、扉はほぼ閉ざされてしまいました。今になって振り返ると、1985年から2022年までの37年間は、ロシア史において外部世界に扉が開かれていた例外的な時代だったのです。

「閉ざされた世界」に戻ってしまったロシア人の価値観や心情を知るには、ドストエフスキーの小説に新たな光を当てる必要があると私は考えています。

◆プーチンは21世紀の大審問官

率直に言って、『カラマーゾフの兄弟』にまともな人物はほとんど出てきません。しかし、一見奇怪に見える言動をする人にも、その人なりの論理があります。

それをつかむことができれば、私たちにとって他者であるロシア人とその集合体としてのロシアを理解することができるのです。

『カラマーゾフの兄弟』で特に難解だと言われるのが「大審問官」の部分ですが、プーチンについても、21世紀の大審問官だととらえれば、その内在的論理は理解可能になります。

大審問官は兄弟のひとりであるイワンが創作した物語中に現れます。大審問官とは、ローマ教皇を選ぶ権利を持つ高位聖職者たちのことで、枢機卿とも言えます。ローマ教皇は枢機卿の中から互選されますから、ローマ教皇になる資格のある超幹部だということです。

物語では、16世紀スペインのセヴィリア、異端審問のさなかに「彼」が現れます(キリストとは明言されていません)。その正体はすぐ気づかれ、男は集まる群衆に奇跡を起こす。ところが老いた大審問官は彼を逮捕させ、火あぶりを宣告します。

<原著からの引用>
『おまえはすべてを法王にゆだねた。すべてはいまや法王のもとにあるのだから、おまえはもうまったく来てくれなくていい、少なくとも、しかるべきときが来るまでわれわれの邪魔はするな』
『カラマーゾフの兄弟』(光文社古典新訳文庫・2巻より引用[以下同])
ドストエフスキーはここで、「代行システム」について書いています。代行システムとは国家、政治家、官僚なりが民衆をすべて代行していくという考えで、この代行主義が民主主義の本質です。そして、これによって、人間が持つ根源的な自由が失われていると述べています。

◆自由を欲しがる人間たちに自由を与えたが…

<原著からの引用>
人間は単純で、生まれつき恥知らずときているから、その約束の意味がわからずに、かえって恐れおののくばかりだった。なぜなら人間にとって、人間社会にとって、自由ほど耐えがたいものはいまだかつて何もなかったからだ!
自由を欲しがる人間たちに自由を与えたが、人間は自由をうまく行使することができないじゃないかと言っています。自由ほど耐えがたいものはこれまでなかったと。

<原著からの引用>
こうして、ついに自分から悟るのだ。自由と、地上に十分にゆきわたるパンは、両立しがたいものなのだということを。なぜなら、彼らはたとえ何があろうと、おたがい同士、分け合うということを知らないからだ!
また、食べ物がたくさんあったとしても、人間はたがいに分けあたえることができない。腐らせたとしても全部自分で囲ってしまうのが人間だ。だから強制的に分配しないといけない。自由のままにしておいたら、1人で全部囲ってしまう。こう言っています。

資本主義社会では、資本が自己増殖してどんどん拡大していきます。資本主義は何らかの相当に強い力が働かないとその動きを止めません。強い力とは何かと言えば、国家権力ということになります。

人間とはそういう存在だから、自由を追求するととんでもないことになる。それを力によって抑えつけないと、すべての人間にパンが行き渡る生活を保障できるようにはならない。そのために、人間から自由を取り上げなければならないというのが大審問官の主張です。これは、プーチンと現代ロシア人の関係にも通じるところがあるのではないでしょうか。

<原著からの引用>
ここでは、だれもが幸せになり、(中略)反乱を起こしたり、たがいを滅ぼしあったりする者もいない。そう、われわれは彼らに言い聞かせてやるのだ。われわれに自由を差しだし、われわれに屈服したときに、はじめて自由になれるのだとな。
自分の自由を差し出して屈服したときに自由を得ると、逆説的に言っています。自由についていろいろ考えるのは大変だから、おまえを自由から外してあげよう。そうすることで自由になれるよと言っているのです。

つまり自由=隷従。人間は、イエス・キリストに従うことで真の自由を得るのだというキリスト教の基本的な考え方です。でも、隷従、服従こそ自由であるなら、それは独裁者の論を補強することにもなりえます。

キリスト教になじみがない日本人にとって「大審問官」は難解だとよく言われますが、そんなことはありません。「大審問官」は、ドストエフスキーの仮説上の自由をめぐる討論です。人間にとって自由とはどういうことか、はたして人間は自由に耐えうるのか。これが根源的な問題となっています。

◆ポイントとなる箇所をていねいに読む

「『カラマーゾフの兄弟』を読み切るコツはありますか」と聞かれることがありますが、コツがあるとすれば、ひたすら読むということです。禅問答のように感じるかもしれませんが、それが唯一のコツなのです。

これならわかる「カラマーゾフの兄弟」 (青春新書インテリジェンス PI 675)

また、ドストエフスキーのほかの作品にも共通しますが、長編をザーッと読めるようになるには、まずゆっくり読む箇所を決めることが大切です。『カラマーゾフの兄弟』で言えば、大審問官とゾシマ長老の来歴に関する第2部です。

その部分を丁寧に読んでいくこと、そして作品内容について詳しい人の解説を受けながら読んでいくことが後々の速読、多読につながります。

はじめは進みが遅くても、読み進めるにつれ頭のなかに情景が浮かぶようになり、ある地点からは読むスピードと理解が加速度的に進んでいくのが『カラマーゾフの兄弟』の特徴です。その世界への一歩を踏み出してみてください。

カラマーゾフの兄弟 解説【文学の最高傑作】【ドストエフスキー】|fufufufujitani
難しい小説を難しく論じるのは簡単です。そのまんまってことです。難しい問題を簡単に計算できるからパソコンは偉大なのです。カラマーゾフの兄弟は準備さえ十分すれば誰にでも読める本です。パソコンやスマホを使うよりもわかりやすいのです。 人類文学の最...
カラマーゾフの兄弟 解説【文学の最高傑作】

「カラマーゾフの兄弟」は人類文学の最高傑作と言われています。これ以上の文学作品が今後生まれるとは、まず考えられません。

まず一つの理由として、エネルギーを投入するならば、映画なりドラマなり、もっと予算規模の大きなジャンルで生産されるだろうからです。

いまひとつの理由ですが、大天才はどうしても精神異常と隣り合わせだからです。ドストエフスキーさんは正にギリギリの存在です。現代ではおそらく社会生活不能です。だから再生産されません。

それくらいの名作ですので、参照されることが多いです。文学や映画、アニメなどの分野を鑑賞するには、どうしても押さえておかなければならない大作です。

・気が遠くなりそうな長さ
欠点もあります。長いのです。文庫本で最低3冊必要です。途中でわけがわからなくなります。登場人物もロシア名なので覚えにくいです。でも最高傑作なのです。攻略しなければなりません。できるだけ手っ取り早く、できるだけ安易に。

・先に概略を掴んでから読む
「読めばストーリーくらいわかるだろう」そう思ったあなたは素人です。読んでストーリーをわかろうとしてはいけません。まずストーリーの概略を何度か読んで、あらすじとして十分把握した後読み始めるべきです。長すぎる小説は全てそうするべきなのです。

感動は10%くらい減少するかもしれません。
でも途中で放り投げる確立は70%くらい減少します。
誰が誰だかわけがわからなくなる確率も、90%くらい減少します。

元々2回目、3回目と繰り返すほどに面白くなる作品です。最初にストーリー押さえておいても、問題なんにもありません。

カラマーゾフの兄弟 – Wikipedia
ja.wikipedia.org
こちらのあらすじを10回くらい読んでから、本を手にとってください。
そうしないと文学マニアでもないかぎり、読了は難しいです。ストーリー十分把握してから読み始めると物凄く早く読了できます。結局時間の節約にもなります。

・登場人物はプリントして手元に
上気リンクの「あらすじ」の下、主要登場人物はプリントして、手元に置いておきましょう。ロシア文学最大のガンは、名前が途中で混乱することです。

・キャラ配置と文明論
この小説理解のカギは2点あります。

1、キャラ配置を把握する
2、背景にある文明論を意識する

この2点です。これだけでなんとかなります。

鎌倉時代の日本人に連立方程式を理解させようとすると、ほぼ全員逃げ出すと思います。でも現在の中学生はほぼ全員理解できます。時代は進歩します。文学理解も進歩します。効率的に、要点を押さえれば、だれにでも消化可能なのです。

・キャラ配置1
基本的に、親父と三人息子の話です。親父は後に回して、三人兄弟のキャラ把握からはじめましょう。

長男:パワフル、感情的、女好き、酒飲み、軍人
次男:陰気、シニカル、頭脳的、女好き
三男:てんかん持ち、前向き、善良、敬虔(僧院にはいるくらい)

以上です。簡単ですね。ジャイアンとスネ夫とのびた(ただしてんかん持ち)です。キャラ配置の王道です。

・キャラ配置2
さらに詳しく見てみましょう。
三兄弟が現在、過去、未来に展開します。

物語のわりとはじめのほう、ゾシマ長老と信者の女たちとの会話で、この構造があきらかにされます。これもプリントして手元に置いておいてください。たったこれだけの構造でも、私は30回くらい通して読んだ挙句に、ようやく見つけ出しました。好きだったから何回も読んで楽しかったし、見つけ出した瞬間はもっと楽しかったですが、文学好きなら初めから共通知識として持っているべきだと思います。

・すば抜けたキャラ立て能力
ドストエフスキー最大の特徴は「キャラ立て能力」が高いということなのですが、キャラを時空を超えて展開させるとは、もはや人間技ではありません。いっちゃったレベルの天才です。犬まで巻き込んでいるのが恐ろしいです。

作中長男ミーチャが夢を見ます。家事で焼けだされた可哀想な人達が立っている夢です。ミーチャは思わず問いかけます。
「どうして焼け出された母親たちが立ってるんだ、なぜ人間は貧乏なんだ、なぜ子供は不仕合わせなんだ、なぜあの女たちは抱き合わないんだ、なぜ接吻しないんだ、なぜ喜びの歌をうたわないんだ、なぜ不幸のためにこんなに黒くなったんだ、なぜ子供に乳を飲ませないんだ。」

そう、ミーチャの目の前で泣いている子供はミーチャ自身なのです。自分は時空を超えて存在しているのです。

・文明論1 歴史
一つの家庭の物語を書いているように見せかけながら、大きな歴史も語っています。

父親のフョードルの最初の妻は、浅黒く、喧嘩するとフョードルをひきずり廻すくらい強かったとされています。これはロシアを占領していたモンゴル帝国のことです。次の妻は信心深く、てんかんの持病がありました。これはモンゴル・タタール人から解放されたロシアが、キリスト教国家になったことを示しています。どうしようもない父親、フョードルはロシアそのものを表しています。

この、歴史を人間の一代記のように描く、という小説技法を最大限に発展させたのが、太宰治の「人間失格」です。日本と天皇の歴史を擬人化した主人公を描いています。

・文明論2 ギリシャ文化
「カラマーゾフの兄弟」は簡単に言えば、父親殺しの話です。原型はギリシャ神話、オイデップスにあります。

オイディプース – Wikipedia
ja.wikipedia.org
知らずして父を殺し、母と性交し、後にそれに気付いて絶望する話です。

「カラマーゾフの兄弟」のちょうど中間地点でアリューシャが、大地につっぷして涙を流し、「そして立ち上がった時には一人前の大人になっていた」というシーンがあります。
大地につっぷして涙を流すとはつまり、母なる大地と性交して射精するという意味です。そう、筆下ろしをして一人前になったのです。
父を殺したのはアリューシャではなく、ほかの兄弟ですが、兄弟全体でオイディプスをしているのが、カラマーゾフなのです。

・文明論3 キリスト教文化
「カナの婚礼」はキリスト教の新約聖書に書かれている逸話です。イエスの奇跡の話です。イエスが婚礼を祝して、無限のぶどう酒を用意してくれます。作中最重要箇所でこのシーンが出てきます。

カナの婚宴 – Wikipedia
ja.wikipedia.org
上記の大地との性交のシーンの直前にあるのが、カナの婚礼のシーンです。アリューシャは夢にカナの婚礼を見ます。祝いの席にはイエスも参加しています。

ほかにも素晴らしい箇所はいくつもありますが、カラマーゾフの中心はこの部分にあります。「大審問官物語」が強調される傾向が強いのですが、(そして確かに素晴らしい箇所ですが)、全体の構成を考えると、ちょうど中心にくるこのシーンを最重要視するべきです。

・文明論4 ギリシャ文化とキリスト教文化のドッキング
ドストエフスキーはギリシャ文化とキリスト教文化を、この小説の中でドッキングさせようとしています。これはひとりドストエフスキーだけの問題ではなく、西洋人が皆苦しんできた問題です。

明治から昭和の日本人が、西洋文化と日本文化という対立を消化しようと苦しんできたのと同じです。芥川、太宰、三島、川端、大変すぎてみんな自殺しちゃいました。文化のドッキングってのは、ものすごくヘヴィーな作業なのです。(中国や半島やイスラムは、この努力もう少し足りないんじゃないかと思っています)

西洋で言えば、
ダンテの「神曲」もこのドッキングの努力の賜物です。
ゲーテの「ファウスト」もこのドッキングの努力の賜物です。

しかしダンテもゲーテも、(最大級の文豪ですが)あまり成功しませんでした。成功したのはドストエフスキーです。だからみんなに読まれています。

いいね!の前にこちらのクリックをお願いします。
にほんブログ村 ニュースブログ 明るいニュースへ
にほんブログ村