男系男子の万世一系は本当なのか? 歴代天皇の史実から分析

父親の生誕91年のこの日。日本国にまつわるタブーに触れる。いろいろ知ったかの方々は当然知っていることなのだろう。

以下、桃太郎+氏のnoteより。

愛子天皇待望論に対して、「男系男子の万世一系という日本の伝統を変えてはいけない」とかいう声が出てますが、そもそもこれ自体が明治以降に作ったこじつけであり「矛盾が多すぎる」というのを解説していきます。

私が愛子天皇を支持する理由は単純で、男系男子の万世一系とやらに合理的な根拠を見出せないから。 そして有能な人間を、性別が理由で拒否する理由が見出せないから。  そこで色々と調べていったら「1889年に急きょ後付けで作ったルール」だったことが判明した。 日本古来の伝統ではなくたかが130年程度の歴史だったと。

では本題に入る。


神話・伝説領域(初代〜第9代)

    • 神武天皇(初代)〜開化天皇(9代)=欠史八代を含む

    • 多くが100歳超の長寿

    • 事績の記録がほぼない

  • 現代歴史学では実在を確認できない

記紀の年齢問題

初代 神武天皇(じんむ)紀元前660〜585年:127歳奉書
2代 綏靖天皇(すいぜい)紀元前581〜549年:84歳没
3代 安寧天皇(あんねい)紀元前549〜511年:57歳没
4代 懿徳天皇(いとく)紀元前510〜477年:77歳没
5代 孝昭天皇(こうしょう)紀元前475〜393年:114歳没
6代 孝安天皇(こうあん)紀元前392〜291年:137歳没
7代 孝霊天皇(こうれい)紀元前290〜215年:128歳没
8代 孝元天皇(こうげん)紀元前214〜158年:116歳没
9代 開化天皇(かいか)紀元前157〜98年:111歳没

出典:日本書紀

神武天皇以降の異常な長寿記録。 初期の天皇はほとんどが100歳超えている。

これが意味すること 「在位期間を埋める」ための操作?

記紀(712年・720年成立)が編纂された時点で、神武天皇を紀元前660年に設定するという政治的要請があった。

  • 中国・朝鮮の古い王朝に対抗して日本の歴史の深さを演出する必要

  • 実際の天皇の数から逆算すると年数が足りない

  • →各天皇の在位・寿命を水増しして辻褄を合わせた

第2代綏靖〜第9代開化までの8人はほぼ事績の記録がない

「2600年の男系継承」の前半は

  • 実在不明の人物

  • 水増しされた寿命

  • 辻褄合わせの系譜

で構成されている可能性が高く、史料として使える部分は5世紀以降というのが歴史学の現実的な評価。


実在が疑わしい領域(10代〜26代)

崇神天皇(10代)から

  • 崇神天皇は「初めて国を治めた天皇」という意味の称号

  • 実質的な初代という説が有力

  • ここから記録の密度が上がるが依然として不確か

  • やはり初期は異様までの長命

継体天皇(26代・507年即位)

  • 前述の通り最大の断絶疑惑

  • 応神天皇の5世孫とされるが系譜の信憑性が低い

  • 越前という畿内から遠い地方の豪族が突然擁立される不自然さ

  • 多くの歴史家が事実上の王朝交代と見る

10代 崇神天皇(すじん)紀元前97〜30年:119歳没
11代 垂仁天皇(すいにん)紀元前29〜後70年:140歳没
12代 景行天皇(けいこう)71〜130年:143歳没
13代 成務天皇(せいむ)131〜190年:107歳没
14代 仲哀天皇(ちゅうあい)192〜200年:52歳没
15代 応神天皇(おうじん)270〜310年:110歳没
16代 仁徳天皇(にんとく)313〜399年:110歳没
17代 履中天皇(りちゅう)400〜405年:70歳没
18代 反正天皇(はんぜい)406〜410年:60歳没
19代 允恭天皇(いんぎょう)412〜453年:78歳没
20代 安康天皇(あんこう)454〜456年:56歳没
21代 雄略天皇(ゆうりゃく)456〜479年:62歳没
22代 清寧天皇(せいねい)480〜484年:41歳没
23代 顕宗天皇(けんぞう)485〜487年:38歳没
24代 仁賢天皇(にんけん)488〜498年:50歳没
25代 武烈天皇(ぶれつ)499〜506年:18歳没 ※諸説あり
26代 継体天皇(けいたい)507〜531年:82歳没

出典:日本書紀

神功皇后問題
実質的に政治・軍事を執り行ったとされる神功皇后は長らく第15代として数えられていた時期がある。 つまりは天皇に準ずる立場として「15代 200〜269年 在位69年」と記されていた。
だが1926年(大正15年):皇統譜令で「天皇ではない」とされて歴代天皇から除外に、現在は歴代天皇から除外。
それによって本来16代目だった応神天皇が15代目に、以降全ての代数が入れ替えられる。

上記の一覧で14代目と15代目の間に70年の空白期間があるのはそのせい。

ちなみに、魏志倭人伝での卑弥呼の邪馬台国時代は189〜248年だが、神功皇后の時代と近いため記紀編纂時(720年)に「卑弥呼=神功皇后」として習合・処理された。 その後、明治政府による「神功皇后は天皇ではない」という改変により、この習合装置ごと消滅。 結果として二人の女性統治者の歴史が日本から抹消された。

私はここで訴えたい。「愛子天皇待望論を、かつて神功皇后と卑弥呼の歴史を抹消したように、また消すつもりか?」と。

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兄から弟への継承が続く(27代〜33代)

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27代〜33代においては、普通なら息子に継がせるはずが、兄弟継承が2世代に渡り、3連続からの4連続と続いた。

在位が極端に短いのが安閑4年・宣化3年・用明2年・崇峻5年。 その反面、欽明が32年間、推古が36年間と極端に長い。

欽明の子が4人も続けて即位。

27代 安閑天皇(あんかん)531〜535年:70歳没
28代 宣化天皇(せんか)536〜539年:73歳没
29代 欽明天皇(きんめい)539〜571年:62歳没
30代 敏達天皇(びだつ)572〜585年:48歳没
31代 用明天皇(ようめい)585〜587年:諸説あり
32代 崇峻天皇(すしゅん)587〜592年:暗殺
33代 推古天皇(すいこ)592〜628年:75歳没


比較的信頼できる領域(推古以降・6世紀末〜)

ここから継承の実態が見えてくる

推古天皇(33代・592〜628年)【女性】

  • 欽明天皇の娘

  • 敏達天皇の后

  • 甥の聖徳太子・叔父の蘇我馬子と統治

  • 有力な男性皇族は当時10人以上いた

  • 36年間即位していて「中継ぎ」と言い張るのは無理筋

聖徳太子や蘇我馬子という優秀な男性皇族がいる中、女性の推古天皇が36年間即位。 男系男子原則であれば絶対にありえない。「中継ぎ」呼ばわりするのは無理がある。

舒明天皇(34代・629〜641年)

  • 敏達天皇の孫

  • 推古の甥

皇極天皇(35代・642〜645年)【女性】

  • 舒明天皇の后

  • 夫の死後即位

  • 大化の改新(645年)はこの治世に起きた

孝徳天皇(36代・645〜654年)

  • 皇極天皇の弟

  • 大化の改新を推進

斉明天皇(37代・655〜661年)【女性】

  • 皇極天皇と同一人物(重祚)

  • 孝徳天皇死後に再び即位

皇極天皇と斉明天皇は同一人物。 合計9年間即位。 当然他にも男性皇族はいるが、兄弟継承ですらなく后が継承、弟の死後に姉がまた即位している。 男系原則があればあり得ない。

天智天皇(38代・668〜671年)

  • 斉明天皇(皇極天皇と同一人物)の息子

  • 中大兄皇子として大化の改新を主導

  • 壬申の乱の遠因を作る

35代 皇極天皇は642年に即位、当時21歳。 37代 斉明天皇は655年に即位、当時34歳。 前天皇の崩御後7年経ってようやく47歳で天智天皇として即位、このあまりにも遅すぎる即位になったことが「男系男子原則」なんてルールが当時なかったことが分かる。

弘文天皇(39代・671〜672年)

  • 天智天皇の息子

  • 壬申の乱で天武天皇に敗れ自害

天武天皇(40代・673〜686年)

  • 天智天皇の

  • 甥(弘文天皇)を倒して即位

  • 兄の息子ではなく兄の弟が継いだ

ここでも、男系男子原則なら弘文天皇の息子が継ぐはずが 天武天皇(叔父)が武力で奪った。「原則」ではなく実力・政治・軍事が継承を決めていた証拠。

持統天皇(41代・686〜697年)【女性】

  • 天武天皇の后

  • 天智天皇の娘でもある(夫と父が兄弟)

  • 律令国家の基礎を整備した実質的な立役者

文武天皇(42代・697〜707年)

  • 持統天皇の孫

  • 天武天皇の孫

  • 25歳で早世


古事記と日本書紀について


古事記

  • 国内向け、日本語で書かれた

  • 稗田阿礼が暗誦していたものを太安万侣が書き記した

  • 天武天皇が681年に編纂を命じた

  • 31年後の712年に完成

日本書紀

  • 対外向け、中国の正史スタイルを意識して漢文で書かれた

  • 舎人親王が中心となって書き記した

  • 天武天皇が681年に編纂を命じた

  • 39年後の720年に完成

天武天皇は686年に崩御しているので「持統天皇・文武天皇・元明天皇・元正天皇」と4代にわたって引き継がれながら完成した。


最重要区間:元明→元正(707〜724年)


元明天皇(43代・707〜715年)【女性】

  • 天智天皇の娘

  • 文武天皇の

  • 息子が早世したため即位

元正天皇(44代・715〜724年)【女性】

  • 元明天皇の

  • 文武天皇の姉

  • 母から娘への継承

この時点で首皇子(後の聖武天皇)は存在していた。

男性皇族が大勢いるのに 母→娘と二代続けて女性が継いだことに 異議を申し立てる記録が一切存在していない。 万世一系なのであれば当時から議論がなされるべき、その記録が一切ない事こそが、「男系男子の万世一系なんては無かった」という証拠。

聖武天皇(45代・724〜749年)

  • 文武天皇の息子

  • 元正天皇の甥

  • 光明皇后(藤原氏)との関係で藤原氏が台頭

孝謙天皇(46代・749〜758年)【女性】

  • 聖武天皇の娘

  • 独身・子なし

淳仁天皇(47代・758〜764年)

  • 天武天皇の孫

  • 孝謙天皇に廃位される

称徳天皇(48代・764〜770年)【女性】

  • 孝謙天皇と同一人物(重祚)

  • 道鏡事件の当事者

  • 後継指名せず崩御

光仁天皇(49代・770〜781年)

  • 天智天皇の孫

  • 称徳天皇崩御後に藤原氏が擁立

  • ここで天武系から天智系へ事実上の王朝交代

これも重要な断絶点です。


藤原氏外戚支配期(9世紀〜11世紀)


桓武天皇(50代・781〜806年)

  • 光仁天皇の息子

  • 母は百済系渡来人の子孫

  • 平安京遷都

母・高野新笠(たかののにいがさ)は——

  • 和氏(やまとのうじ)という氏族の出身

  • 和氏は百済の王族・武寧王の子孫と記録されている

  • 続日本紀に明記されている

2001年、当時の明仁天皇(現上皇)が誕生日会見で

桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫と続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています

と発言をして大きな話題に。 このように天皇御自身が公式に認めている。

愛子天皇反対論の核心は「女系になると外国の血が入る可能性がある」という主張で、それを言う人たちの根拠にしている系譜にすでに外国の王族の血が入っている。

55代目以降、継承パターンが大きく変わる

  • 藤原氏の娘が后になる

  • 生まれた子が天皇になる

  • 天皇の外祖父として藤原氏が権力を握る

実質的な継承決定者が藤原氏になるため

「誰が天皇になるか」は藤原氏との姻戚関係で決まる

母方の血縁=藤原氏との関係が最重要要素になった時期。

55代「文徳天皇」から70代「後冷泉天皇」までの約230年、15代にわたって藤原北家が后を独占、つまり実態は藤原王朝への転換。 これは「男系のみ正統」という原理と真っ向から矛盾する 母系的権力継承が230年続いた時期。


院政期(11世紀〜12世紀)


白河天皇(72代・1072〜1086年)

  • 自ら退位して上皇として院政を開始

  • 以降は退位した上皇・法皇が実権を持つ構造

以降の継承の特徴:

  • 上皇が次の天皇を指名する

  • 必ずしも長男・直系でなくてよい

  • 「治天の君」が誰かが実権の所在を決める


南北朝分裂(1336〜1392年)


後醍醐天皇(96代)の後:

  • 北朝(足利幕府が支持)

  • 南朝(後醍醐天皇の系統)

56年間二人の天皇が並立。

現在の皇室は北朝の系統。

「万世一系」の最大の矛盾点:

  • どちらが正統か今も決着していない面がある

  • 戦前は公式に南朝正統論を取っていた時期もある

  • 北朝正統なら「南朝の56年はどう説明するか」という問題が残る


江戸時代(17世紀〜19世紀)


後水尾天皇(108代・1611〜1629年)

  • 后の父が徳川秀忠

  • 幕府への抗議で1629年に突然退位

  • 娘が109代 明正天皇に即位

明正天皇(109代・1629〜1643年)【女性】

  • 父が後水尾天皇

  • 徳川秀忠の孫

後桜町天皇(117代・1762〜1771年)【女性】

  • 江戸時代最後の女性天皇

  • これが「前例がない」はずの女性天皇が18世紀まで存在した証拠

後桃園天皇(118代)が嗣子なく崩御(1779年)

  • 閑院宮家から養子を迎える

  • これが光格天皇(119代)

  • 現在の皇室はこの光格天皇の直系子孫

つまり現皇室の直接の祖先の即位が:養子縁組という制度的操作で成立している


法律的解釈について

「万世一系」という言葉は、古事記や日本書紀では一切出てきておらず、1889年に『大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス』と大日本帝国憲法で明記され、ここで初めてこの概念が誕生した。 それまではこんなルールは無かった。

現在の日本国憲法は、『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く』となった。つまり憲法において「万世一系」という言葉が出てきたのは大日本帝国憲法だけ。

現在は皇室典範で『皇位は、皇統に属する男系の男子たる皇族が、これを継承する』と明記されているに留まる。

つまり明治時代に大日本帝国憲法で加えられた独自解釈が、現在は皇室典範という法律文に明記されてる程度に過ぎないので、憲法改正ですらなく、普通の法律改正で変えることが出来るということ。


総括

全体を通して見えること:

継承パターンの実態は:

  • 息子 娘 母 弟 甥 養子

  • 武力による簒奪

  • 藤原氏による指名

「男系男子」が一貫した原則だった痕跡がない。

むしろ一貫しているのは:

そのとき最も権力の中心にいた皇族が継ぐ

という原理であって、性別・父系母系は二次的な要素だった。

それを1889年に突然「男系男子のみ」と単一原理に強制収束させたのが明治皇室典範だった、というのが歴史的実態に最も近い解釈。

家父長制、強制的夫婦同姓、万世一系が2000年以上続いたという設定。 これらは全て明治政府が130年前に急きょ導入したものであり「日本古来の伝統でもなんでもない」というこの事実をどうか知っていただきたい。

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